歩く笙野季生 ● 今でこそウォーキングなどとことさらに言うが、昔は毎日がウォーキングだった。お使いは子供にとって大事な役割だったから毎日のようにお店やさんに行かされた。豆腐屋、魚屋、八百屋、主に食べ物屋が多かった。豆腐は鍋をさげて行った。 お使いはそんなに遠くまで行ったわけではなく、せいぜい三〇〇メートルの範囲内だった。鳥の餌とか提灯などよほどのものでなければ自転車で買い物に行かなかった。 お使いのみならず、日常的なことは歩かニャア事が運ばなかった。出迎えも見送りも、拾ってきた猫を捨てに行くのも歩いていった。野良へお昼を届けたり、馬の世話をしたり、今よりずっと歩くことが多かった。山の子は学校に行くだけでも大変だった。遠足はもちろん歩き。お宮参りや七五三のお参りも、野辺の送りも役場に行くのもすべて歩きだ。 恋文を渡すのも歩いた時代の出来事だった。 子供の日々は、歩くか走るか登るか逃げるかのどれかだった。失敗は転ぶか落っこちるか捕まるかのどれかだった。子供の頃、遠い世界は、わずか2キロ先かそこらしかない。 …つづく |